人気ブログランキング | 話題のタグを見る

名胡桃(なぐるみ)城趾

先日、群馬県みなかみ町へ行った際、関越自動車道の月夜野I.Cを降りて、名胡桃(なぐるみ)城趾に立ち寄りました。
当時の土塁や郭などが残っており、日本の歴史上の舞台として評価されたのかわかりませんが、続・日本百名城の一つに選ばれています。

名胡桃城は、戦国時代の1579年(天正7年)に真田昌幸の吾妻・利根侵攻によって名胡桃館の隣に築かれました。
1586年(天正14年)になると、天下統一を目指していた豊臣秀吉は惣無事令を出して私闘を禁止しました。
その後、北条氏と争っていた吾妻・利根の2郡に関しては、利根川を境に東側を北条氏、西側を真田氏の領土として裁定し、上手く収まるかと思っていたところ、北条方の沼田城代の猪俣邦憲が名胡桃城を不法に攻略。
これに怒った豊臣秀吉が、小田原の北条氏を討伐するため、全国の大名に命令し、22万といわれる大軍を小田原に集結させ、北条氏を滅ぼしました。
群馬県みなかみ町にある山城の争いが、北条氏攻めのきっかけとなったのが興味深いですね。
名胡桃(なぐるみ)城趾_a0385725_21532482.jpg
城の構造としては、ささ郭・本郭・二郭・三郭が直線に並んだ連郭式の山城で、堀切で分断され、周囲は急峻な崖や土塁・柵などに囲まれた堅固な造りでした。
名胡桃(なぐるみ)城趾_a0385725_21471212.jpg
<馬出(うまだし)*>
この城では武田氏が用いた丸馬出がありました。
*馬出とは、虎口の前面に設けられた出撃場所のこと。
名胡桃(なぐるみ)城趾_a0385725_21534794.jpg
<二郭(にのくるわ)堀切木橋趾>
名胡桃(なぐるみ)城趾_a0385725_21454084.jpg
<二郭(にのくるわ)堀切*>
*堀切とは、侵入路を遮断する目的で掘られた空堀のこと。よく残っていました。
名胡桃(なぐるみ)城趾_a0385725_21470223.jpg
<二郭(にのくるわ)南側虎口*>
*虎口とは、城の出入り口のことで、敵の侵入を防ぐために喰い違い構造になっています。六文銭の旗が風になびくといい感じです。
名胡桃(なぐるみ)城趾_a0385725_21465333.jpg
<二郭(にのくるわ)南側>
名胡桃(なぐるみ)城趾_a0385725_21541014.jpg
<二郭(にのくるわ)>
名胡桃(なぐるみ)城趾_a0385725_21541923.jpg
<二郭(にのくるわ)*>
*山の斜面を削って平坦面を郭といい、近代の城だと二の丸と言われている場所です。

名胡桃(なぐるみ)城趾_a0385725_21464329.jpg
<二郭 北側虎口>
名胡桃(なぐるみ)城趾_a0385725_21455093.jpg
<本郭(ほんくるわ)>
本丸と言われている場所。
天守もなく、兵士たちの詰所のような建物しか無かったため、実戦的な城だったようです。
見落としたのか、郭近くに井戸のような水場が見つかりません・・・。
名胡桃(なぐるみ)城趾_a0385725_21455726.jpg
<本郭(ほんくるわ)>
名胡桃(なぐるみ)城趾_a0385725_21462364.jpg
<本郭(ほんくるわ)>
名胡桃(なぐるみ)城趾_a0385725_21463304.jpg
<本郭(ほんくるわ)>
大正13年3月に地元有志によって建立した石碑。
名胡桃(なぐるみ)城趾_a0385725_21542909.jpg
<ささ郭>
名胡桃(なぐるみ)城趾_a0385725_21460580.jpg
よく見ると五円玉で六文銭が表現されていました。
名胡桃(なぐるみ)城趾_a0385725_21543997.jpg
名胡桃(なぐるみ)城趾_a0385725_21461471.jpg
河岸段丘上に城があり、ここに立つと自然の要害であることがよくわかります。利根川を挟んだ山側の眺めがいいですね。

<2022年7月3日 撮影>

by hiro7355 | 2022-07-07 23:03 | 続・日本百名城 | Trackback | Comments(0)