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岩村城

日本百名城の一つ、岐阜県恵那市にある岩村城に行ってきました。
岩村城は文治元年(1185年)、源頼朝の家臣・加藤景廉によって築城され、江戸時代を経て明治維新まで700年にわたり存続された城でした。
戦国時代に城主の遠山景任が病没し、養子として迎えていた織田信長の五男御坊丸がまだ幼少だったため、その夫人おつや(織田信長の叔母)が実質的な城主として領地を治めていたので、おつやが女城主といわれていたそうです。
当時、武田信玄の24将の一人だった秋山虎繁が岩村城を侵攻した祭、おつやが自ら采配を振い、この城で籠城したが持ちこたえることが出来ず、虎繁からおつやを妻にすることを条件に開城しました。
その後、武田勝頼が長篠の戦いで敗戦したことで織田家の勢力が拡大し、結果的に織田信長によって秋山虎繁とおつやの夫妻は磔刑に処されたという悲運に見舞われました。
身内であっても敵味方に分かれただけで容赦ない仕打ちが待っているという厳しい時代でした。

日本三大山城のひとつで、城の高さは標高771mにも及び、高低差180mにもなる要害堅固な山城で、岩村駅から徒歩で行くとなると相当な労力が必要です。
訪れた日は岩村駅から岩村歴史資料館までバスが出ていたので、登城までの距離はだいぶ短縮されましたが、山城なので一番上の本丸まで歩くのは相当きつかった。
この岩村歴史資料館入り口から登城口があり、ここから本丸まで800mの上り坂が続きます。

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<太鼓櫓>
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<岩村歴史資料館前から見る藩校知新館と太鼓櫓>

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<初門>
石畳の藤坂を登っていくと初門があり、一度右に曲がった後、大きく左に曲がります。
敵が攻めてきたときに一気の登れないような工夫がされており、有事の際には仮設の門を設ける計画だったようです。
初門までも坂道が続き、かなり息があがりました。昔の人はここを登ったり降りたりしていた訳ですから凄い体力です。

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<土岐門>
城主遠山氏が土岐氏を破った際にその居城の城門をここに移したという伝承が残っていることから土岐門と名付けられいるそうです。

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<畳橋・追手門・三重櫓>
綺麗に石垣が残されており、追手門の脇には天守に相当する三重櫓がありました。
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<霧ヶ井>
城主専用の霊泉で、敵が攻めてきたときに、城内秘伝の蛇骨をこの井戸に投じると霧に覆われて城を守ったと言われているそうです。
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<八幡曲輪と八幡神社>
八幡曲輪の奥には遠山氏が崇拝していた八幡神社があったそうです。深い森の中、荘厳な雰囲気に包まれていました。
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<六段壁①>
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<六段壁②>
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<六段壁③>
江戸時代後期に崩落を防ぐ補強のために石垣を積み重ねたものらしいですが、この石垣は見事ですねー。
日本のマチュピチュと言っても過言でないほど、迫力があり感動しました。
険しい地形に石を運んで積み重ねたというのも凄いことですし、ここは一見の価値があります。

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<長局埋門>
六段壁の脇道を登り、長局埋門を通ります。
本丸は上下2段の曲輪からなっており、下段は長局(ながつぼね)と呼ばれていました。
下段から上段に入る門は三箇所あったそうですが、防御のためではなく、本丸御殿の格式を重視していたそうです。

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<本丸>
思い切り汗をかきながら、登城口から20分ほどで本丸に到着。
全体が広場になっており、山の頂上にたどり着いたような爽快な達成感を感じました。
本丸には納戸櫓など二重櫓が2基、多聞櫓2基が石垣上にあり、門も3基設けられていたそうです。
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本丸からは眺めがよく、遠くには恵那山が見えました。

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<南曲輪>


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<理門>
3種類の積み方が見られる珍しい場所らしいですが、疲れていたのであまり見ませんでした・・・。
ここを最後に帰りは同じ道を辿り、岩村の古い町並みを歩きながら岩村駅に向かいました。
日本三大山城の一つを制したので、残り二つの山城(大和高取城(奈良県)、備中松山城(岡山県))にもいつか足を運んでみたいと思います。

<2021年8月28日 撮影>


by hiro7355 | 2021-08-31 13:14 | 日本百名城 | Trackback | Comments(0)