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くびき野レールパーク一般公開① 2019年10月20日(日)

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旧百閒町駅跡には本社社屋や機関庫が残っており、頸城鉄道の車両は頸城鉄道廃止後に兵庫県の六甲山中に個人で保管されていたものを頸城鉄道発祥の地である旧百閒町駅跡に里帰りを果たしました。
その後、くびき野レールパークが2008年10月にオープンし、毎年5月~10月までの間に月1回の定期公開や一般公開を行われおります。
今年の10月は台風19号の影響で10月12日と13日の2日間開催される予定だったのが中止となり、10月20日(日)に延期されました。
今回、このイベントに参加するのは2回目で、1回目の時にはDC92の動力が復活、ホジ3が塗装を新たに下回りがこれからという状況でしたので、かなり整備され充実したように思います。
このイベントは地元の方にとっても家族連れにとっても楽しいイベントであり、昼食・地元の名産品販売から子供向けの紙芝居や頸城鉄道の塗り絵プレゼント、ケロッコ号(ミニトロッコ)の乗車、鉄道ジオラマの運転体験もありました。
もちろん、OLD鉄道ファンにも楽しめるイベントですので、地元だけでなく、県内外から多くの人で賑わっていました。

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まずは、庫内から見学しました。天井ぎりぎりの狭いスペースに頸城鉄道の車両が置かれていました。
線路幅はナローゲージでたったの762ミリしかありません。JRの在来線でも1067ミリですから本当に小さいです。
車両も古典車両ばかりですが、どれも個性的で味わいがあります。
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内縁客車ホジ9の車内に入ってみました。この車両は1932年(昭和7年)に自社工場で改造されたとあり、もともとは特別客車ホトク1という車両で日本初のお座敷客車であったという説もあるそうです。ドアの前には大きな木箱のようなものがありますが、これはエンジンカバーのようです。

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運転席もレトロな雰囲気で、ギアとアクセルペダルを踏んで操作するのでマニュアル式の車のようでした。メーターを見ると最高速度で50㎞しかありません。

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この蒸気機関車は西武山口線で活躍していたコッペル製2号機です。
1911年(明治44年)ドイツ・コッペル社で製造され、1966年(昭和41年)5月に頸城鉄道で廃車となり、1972年(昭和44年)5月から西武山口線で動態保存車両として運行された後、再び新潟に戻ってきた貴重な機関車です。
老朽化もあって自力走行は不能との事でした。
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コッペル社の銘鈑が取り付けてあります。

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ディーゼル機関車DC92の足回り。1954年(昭和29年)協三工業製。
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荷物車二フ1の車内。この車両は老朽化が激しかったため、車体を新たに制作して復元したとの事。
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機関庫内や頸城鉄道歴史資料館(旧頸城鉄道本社社屋)には当時の部品や行き先板、往時の写真などが飾ってありました。
車がなかった時代、鉄道が唯一の移動手段だったのでしょう。
多くの駅員が活き活きとして働き、小さな停留所のようなホームに乗客たちが列車から降り立つなど今では有り得ない情景でした。
車社会の影響で地方のローカル線が次々に廃線となってしまいましたが、鉄道は地域に必要なものである事を写真を見て改めて思い知らされました。
一度失ったものを取り返すのは難しいですが、頸城鉄道の車両が今でも残されていたのはせめてもの救いでしょうか。




by hiro7355 | 2019-10-22 23:26 | 軽便鉄道探訪 | Trackback | Comments(0)